今週のジャンプ(06・07)におけるテニスの王子様

  • 完璧なまでのテニス…竜巻でボールを惹き付け、左腕にオーラを集めて倍返し。
  • 天才的技術…目を瞑り、ラケットの裏面やフレームまで使ってボールを打つ。
  • アクロバティック…2〜4人に分身して飛び跳ねる。
  • ダブルスの名手…粘々としたオーラを纏って宙に浮く。
  • データテニス…「日吉が向日の肩を蹴って飛ぶ確率100%」。


これがCOOLテニスにおける現在の「完璧」「天才」「ダブルス」「データ」の定義であることは皆知っての通りだが、今回は新たに「パワー」の定義が更新された。いや、更新され続けている(現在進行形)。だがこの点については、我々はもはや「いつ河村先輩がスコルピオンの如くアリーナの壁を突き破るか」或いは「何時テニスで人が死ぬか」に重点を置いて見守る以外になく、今更議論する必要はない。
逆に今、我々が真剣に議論すべきは「二拾壱式波動球を喰らった中学三年生が観客席上段に突っ込んだあの1ページ」についてだと思われる。何故ならあの1ページは我々がテニスという未知の競技を考察する上で貴重な資料となる数々の情報を提供しているからだ。まず第一に着目すべきは「あの中に制服を着た女の子が2人程居た」という事実。手を口に当ててはいるがそれでも試合の中止を訴えたり救急車を呼んだりしていないあたりこの娘達もまたテニスプレイヤーの血族なのだろう。其の姿は極道の妻達を髣髴とさせる。そして次に見るべきは中段に座っている男。なんとこの惨劇をガン無視している。まるでこの惨劇を「ワンサイドゲームな野球の試合で13本目のホームランがスタンドに突き刺さった程度」としか認識していないようである。だがもしかするとこの男こそ我々がその全貌を掴みかねている「プロテニスプレイヤー」なのかもしれない。もし彼がプロテニスプレイヤーならば「観客席にテニスプレイヤーが突っ込む程のワンサイドゲーム」に異常性を感じなくとも特に不思議な事はない。何故なら「プロテニス界では観客席をも利用できなければ一流にはなれない」と考えるのが我々の間では通説*1となっているからだ。例えばカードゲームではフィールド上のみならず墓地の効果的な利用も一流と呼ばれるには必須要件であるが、恐らくはテニスでもそれと同様にテニスコート以外の、例えば観客席での立ち回りが一流同士の勝負を分けると考えるのは決して無理な推定ではないだろう*2。これらの事実*3を総合し「彼は、観客席の利用を日常化したプロテニスプレイヤーであった為に、このワンサイドゲームに何ら興味を示さなかった」と発展させるのはいささか飛躍が過ぎるだろうか。

このように様々な情報を与えてくれた今週のテニスだったが、その最終ページ、満を持しての亜久津登場によって我々は更なる深い沼に突き落とされた。しかも第一声が「何諦めてんだ河村」。もはや問題は諦めるかどうかではないと思われるが、テニス格闘術を得意とした亜久津にしてみれば、この程度は「まだ始まったばかり」なのだろう。そうなのだ。まだ始まったばかりなのだ。まだ「二拾壱式」なのだ。真の惨劇はここからなのだ。

[来週の予想]

遂に三拾の大台に達した石田師範の波動球を喰らい、吹き飛ばされ続ける河村。だが亜久津は吹き飛ばされた河村を悉く受け止め、その結果ダメージは0に抑えられる。この見事なコンビプレイの前に攻め手を欠いた石田師範は、ついに禁断の七拾七式波動球を発動。亜久津ごとアリーナの壁を突き破り河村への致命傷を狙う。万事休すかと思われたその矢先、河村を受け止めたのは氷帝樺地だった。「勝つのは河村…です」。

*1:初めて聞いた。

*2:正直自分でも何を言っているかわからなくなってきた

*3:事実という言葉の使い方を間違えているような気もする。