ポケットモンスターSPECIAL

ポケットモンスターSPECIAL (15) (てんとう虫コミックススペシャル)

ポケットモンスターSPECIAL (15) (てんとう虫コミックススペシャル)

ネタバレあるんで一応「続きを読む」形式。


一言で言うと、「遺伝」や「環境」をとある「体験」から覆そうとした男女がくんずほぐれつする話。ルビーとサファイアを鏡のように描きながら、犯った側と犯られた側で明確な差異を設ける辺りが上手いというかなんというか。

ルビー:かつてストロングな自分(=ルビー)がビューティフルな相手(=サファイア)を怯えさせてしまったがゆえにビューティフルを志した
サファイア:かつてビューティフルな自分(=サファイア)がストロングな相手(=ルビー)に怯えてしまったがゆえにストロングを志した。

 「他人の本質に自分が怯えてしまった」サファイアの場合、それが容易であるかどうかはともかくとして、処方箋の方向性それ自体は単純明快。絶叫マシーンに10回のるとかそういった単純な努力の延長線上でどうにかなります。要は「慣れ」て「受け入れる」ことができればいいのであり、己の個性を否定する必要はありません(精々「こわがり」という個性を潰すだけ)。元々が受動的体験ですから。ただ、サファイアの場合は、根がクソ真面目だったため、それまで培ってきた遺伝的要素と環境的要素に対して新たに付け加えられた文化的要素、即ち「野性児」属性が主に昇格してしまっただけの話です。*1その証拠に、彼女は作中でビューティフルなものを否定していません。否定ではなく、追加の連続によって彼女はワイルドになったのです。この辺が上手いなと思うのですが、序盤の段階で、サファイアは“ビューティフル”なルビーのあつらえた服を自らの意思で着ているのですよ。これこそがまさに彼女がビューティフルなものを否定していない証。闘う瞬間を見られることすら拒むルビーとは好対照を成している。服一つで読者に印象を刷り込むの手腕は並の手練じゃないですよ。服isファッション。

しかして他方「自分の本質が他人を怯えさせてしまった」サファイアの場合はある種悲劇的な状況を呈します。(彼の記憶の中に存在する彼女をおびえさせないためには)遺伝的要因と環境的要因により築き上げてきた、今までの「自分」を否定しなければならない。ストロングなものに加えてビューティフルなものに理解を示す、ではなく、ストロングなものを否定してビューティフルなものを肯定する、でなければならない。彼自身が何に理解を示そうが、相手が怯えたら何の意味もないからです。怯えさせないためには、完全否定するしかない。しかし、己の本質を否定するのは難しいことです。そして、だからこそルビーは不安定な状態に陥る。サファイアならば、たまにビューティフルなものに関心を惹かれても「たまにはそういうのも悪くないか」で済みますが、ルビーがストロングなものにつきあってしまった場合「可及的速やかに否定せねば」になるわけです。また、自己の「否定」は時として「逃走」といったネガティブニュアンスにも変化します。「闘争」を否定しているのか単に「逃走」しているだけかよくわからなくなってくる。ポケモンの主人公なんかやってる所為で「なんだなんだ!? ここは世界の中心か!?*2」といった具合にバトル展開に巻き込まれるが、巻き込まれれば巻き込まれるほど自我がメトロノームのようにぶらぶらと。師匠に自分勝手と説教されてしまう根はここにあるわけです。ルビーの自分勝手は、自分のやりたいようにやっているところからではなく、自分をコントロールできなくなってしまうところからやってくるのです。混乱と倒錯のあまり、本来女の子を泣かせないように非戦闘主義を通していたはずが、何時の間にやら非戦闘主義を通すが為に女の子を泣かせてしまうのです。そんなルビーとサファイアがくんずほぐれつしながらくんずほぐれつするのです。キャーキャー言いながら楽しく読んでました。長くなりそうなので一端切り上げ。キャーキャー。

*1:「WILD」もまた一つの文化。アイアム遠山金太郎

*2:SDガンダムフルカラー劇場第7巻より抜粋