構造から学ぶシンクロ論

ankさんもヤキがまわったな。確かにOVAは完全な失敗作だった。だが…

まあ、同調時黄金ペアの精神状態を補完した事や、あの変態フォーメーションを進化させた「パイルミラージュ」なんかは、ある意味で良い仕事と言えそうですが(以下テニスOVAに対する批判

ankさんには悪いがはっきりいってこの言及の仕方は美しくないな。何故なら、僕にいわせればこの部分こそがOVAを失敗にもたらした主要原因なのだから。

【何故あの部分―①黄金ペアの精神状態補完②パイルミラージュ―が最も不味いのか。】

この点について語るためにはまず「そもそも同調(シンクロ)とはなんであろうか」という命題から始めるべきだろう。何故なら、今日君等に伝えるべき応用同調学を理解するにあたっては、まず基礎であるシンクロの定義がわかっていなければ話にならないからだ(無論この辺の基礎ついては既に大学等で学習している人間もいるかもしれない。が、そういう人達については…復習のつもりで読んでくれれば幸いだ)。まあ、前置きはこのくらいにしてそろそろ本題に入るとしようか。

皆も知ってのとおり、シンクロとは有無を言わせぬ圧倒的な超常現象であり、それゆえ宍戸・鳳ペアは未曾有の恐怖に直面することを余儀なくされた…ここまではいいだろう。だが、ここで考えて欲しいのは「その恐るべきシンクロを果たした人物が一体誰と誰だったのか」についてだ。この点について考察を巡らせた時、ある異常な事実が浮かび上がってくる。そう、あの状況でシンクロを果たすことにより自我を文字通り雲の上に追いやったのは、他ならぬあの試合の『主役』大石秀一郎菊丸英二だったのだ。

・何故主役サイドがシンクロすると異常なのか

今まで曲がりなりにも主役側として読者に“視点”を供給していた大石・菊丸が同調という超常現象を経由して自我を喪失することより、もはや読者側による感情移入の類は、心情的*1にではなく物理的*2に不可能となってしまった。そう、コート上の主役が文字通り雲の上の存在となってしまったというわけだ。

中でも大石秀一郎については、魑魅魍魎が跋扈する青春学園の中でも比較的常識人の位置づけにあったことを留意せねばなるまい。この点、本試合について見てもあの瞬間までの彼はその役割を忠実にこなしていた。彼は、あの恐るべき超常現象が発現するその直前までは「怪我とプレッシャーに苦悩するテニス部の副部長」という一般読者にとって馴染み深いキャラクターであったのだ。思い起こしてみるがいい。シンクロ直前の大石秀一郎はプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。これは彼が実に人間的であったことを示している。いや、彼だけではない。今まで分身や一人ダブルスによって読者の腹筋を度々痙攣に追い込み、人格的にも天真爛漫の権化の様であったあの菊丸英二ですらプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのだ。これらの事実は、彼等が血の通った人間である事を意味している。そうだ、彼等は至って健全なアスリートであったのだ。しかし、同調(シンクロ)の瞬間その全ては崩壊する。彼等はもはや人間的なプレッシャーを感じるコート上の主役ではなく、非人間的な「何か」に変貌していたのだ。これがシンクロ第一の効果であるが、この現象はある必然的な副産物を生み出した。それが宍戸・鳳の主役化である。

・主客転倒のダイナミズム

今までコート上の主役であった大石・菊丸が物言わぬ天使としてコートに君臨する一方、宍戸・鳳は脇役から主役*3へと入れ替わる…それがあの瞬間起こった事実の全てだ。シンクロ以降、読者は宍戸・鳳の視点で圧倒的な恐怖を目撃し…戦慄する。だからこそ「一体何なんだよお前らは!」というあの宍戸の発言は読者の胸に痛いほど響き渡るのだ*4。大石・菊丸側には絶対的に共感不可能な一方で、「理解不能」の一点から読者は宍戸に共感できるのだ。

ここにシンクロ第二の、そして最も大きな意義がある。一方ではそれまで認識可能だった主体が突如として認識不可能な客体に突然変異し、もう一方ではただの脇役が主役にクラスチェンジする…これこそがシンクロのもたらしたダイナミズムの総体である。そしてそれゆえにシンクロは強烈なインパクトを付与する事に成功したのである。

・何故黄金ペアの心理を補完してはならないのか。

しかしここでもし大石と菊丸の内面描写が加えられていたら果たしてどうなっていたのであろうか。その答えはOVAの通りである。あの無駄な内面描写によって、奇才・許斐剛が仕掛けた一世一代の大芸術が台無しになってしまった。

前述した通り同調の本質は主客転倒によって生まれる圧倒的なダイナミズムにある。にも関らず、その同調の瞬間に一々内面描写など描いてしまっては大石・菊丸が観客の理解を超越した雲の上の存在とはなり得ず、従って、宍戸・鳳が同調によってもたらされた意味不明な恐怖に必死で対抗することを通じて主役へのクラスチェンジを果たすこともまたありえないのである。この、シンクロ現象に対する根本的な誤認こそがあのOVAを失敗作たらしめている所以なのだ。あの無意味な補完こそが作品の持つダイナミズムを滅してしまっていると言っても決して過言ではないだろう。だからこそ、その後の展開に全くと言っていいほど『力』が感じられないのだ。

・何故パイルミラージュは不要なのか。

「パイルミラージュ」もまた余計な要素である。あの試合は、こちらからある程度理解の及ぶ表層的な意味においての“タイブレークまで縺れ込む白熱した好ゲーム”から一瞬にして混沌が全てを支配する“テニスコート上の一大ホラー”に突然変異するところにその意義があり、当然許斐剛はそれを意識した上で終盤「シンクロを果たし宙に浮くラケット天使」と「良識を持った怯えるアスリート」を鮮やかに対比して見せたのだ。だが、OVAでは中途半端な大技であるパイルミラージュの所為でその対比が不鮮明なまま終わってしまった。これもまた作り手側のミス…いや誤認と言うべきだろうか。「あの試合は前半詰まらない―特に宍戸・鳳に大技がない」などと事物の表面だけを捉えるからあんな無様な状況に陥るのだ。

★総括するとアニメススタッフはスタートラインで躓いていたと言う他ない。同調(シンクロ)とは、構造レベルで捉えなければ再現不可能な程、高度な前衛芸術だったのだ。

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あー疲れた。二束三文のテキストでも書いてみると結構疲れるもんだ。つーか長いんだよコレ。誰が読むんだって話で。

*1:「あのキャラは嫌いだから感情移入できない」などといった場合をさす。

*2:何処からどう見ても感情を持たぬものに対し感情移入することが果たして可能であろうか。

*3:或いは「読者に視点を供給する主体」とでも言うべきか。

*4:少なくとも筆者はあの瞬間呼吸困難に陥った