ふと思い立った。

 幸村精市の奥義『五感剥奪』とは、相手の放つ全てのボールを返すことでテニスに対するネガティブ・イメージを相手に植え付け、そこからなんやらかんやらで相手の五感を喪失させ、必然的にテニスを放棄させる奥義だったと記憶しているが、よくよく考えてみると、劇場版手塚国光の『ギャラクシアン・手塚ゾーン』もコレと同じ原理だったのかもしれない。ボールの軌道を支配し、天才・不二をして「彼(=ジャン・ジャック・マルソー)に出来ることはもう、何も無い」と言わしめるほど相手に運命決定論的な絶望感を与える手塚ゾーンは、いつしか対戦相手にテニスを超えた破滅思想を植えつける。そうなのだ。ボールの軌道はおろか、己の全ての運命を決定付ける手塚国光は、いつしかジャン・ジャック・マルソーの中で神格化され、その結果彼は、宇宙の創造者は彼であるという確信を持つに至る。そして、神の手による破滅と、その後に待っている再生を求めるようになり、彼の脳内ではある種の脳内麻薬が過剰に分泌、もってあのような、限りなくリアルに近い幻覚を見るに至る……それが手塚ゾーンの最終形『手塚レクイエム』だったのかもしれない。