機動武闘伝Gガンダム

機動武闘伝 Gガンダム 10 [DVD]

 「これはホントにガンダムか?」は僕の知ったことではないが、「これをガンダムでやる意義ははたしてあったのか?」に関しては全力でイエスと答えたい。頭部が俗に言うガンダムヘッドならそれだけでもうガンダムとされる程に、「ガンダム」の定義が拡大解釈されたのがこの世界だが、だからといってガンダムガンダムであること、その事実がただ軽んじられたわけではないのだ。むしろ「かっての英雄的MS『ガンダム』にどことなく似てるからこれはガンダムだ」という宇宙世紀の続編ガンダム*1よりも、「ガンダム」という言葉の持つ魔力をうまく利用できている、とさえいえるかもしれない。*2

ガンダムファイト国際条約第1条「頭部を破壊されたものは失格」

 このルールの裏の意味、それは「どんなにトチ狂ったガンダムを作ろうが参加国の自由だが、万が一にも角付きの頭部を壊された場合は最早ガンダムとは呼べないのでガンダムファイトから追放される」である。マタドールだろがコブラだろうがジェスターだろうがゼウスだろうがガンダムヘッドがついているならガンダムだが、頭部が無くなった瞬間、それは最早ただの牛、ただの蛇、ただのピエロ、ただの神、というわけである。要は幕張におけるスペースガチャピンスーツ。角が取れた瞬間ただのガチャピンになってしまうので負け、と同じタイプの、アイデンティティに関わる闘争がそこにはあったのだ。そしてこれは、境界線という名の最も美味しい、カオスな、ダイナミズムに溢れたラインで「遊べる」ということを意味している。

 こんな真似ができる題材は、日本においては他に仮面ライダーウルトラマンぐらいしか僕は知らない。だが、仮面ライダーウルトラマンも、全身それ自体は非常に特徴的な一方で「これつけときゃとりあえず○○に見えんじゃねーの」というシンボルには若干乏しいきらいがある。カラータイマーは特徴的だが、カラータイマーをつけただけでは「ウルトラマン」と言い張りにくい。しかしガンダムは違う。角とツインアイがあれば現実問題としてガンダムと言い張れるのだ。この辺はSDガンダムに当たれば詳しいが、兎に角言い張れてしまうのだ。こんな美味しい素材は他にはない。そしてGガンはその特性を生かし切った。であるならば、「ガンダム」を使った甲斐があったのではないか、僕はそう思う。

*1:逆の言い方をすると、非宇宙世紀ガンダムの場合はこの手法が使えない。

*2:Wと、最近では00辺りもその辺をわりと頑張っている。Xはわりと適当。SEEDは縦読み