遊戯王GXを見てたら夢に落ちていた。

 死ぬほど心が暇だったので、一応、見てたんだ。で、夢落決闘。あーあ。やっちゃったっていう。折角「新登場のクリアデュエルがたったの2週でゴミのように切り捨てられたよヒャッホウ」と一人湧いていたのにさ。


 この手の幻覚系は「作るのが楽」だとハナからわかりきっている。で、盛り下がる。脇役の優勢が夢オチでした、って3秒くらいで思いつく展開だもんなぁ。NARUTOでネタに困った時よくつかわれることからもわかるとおり、3秒で思いつく展開だもんなぁ。「もう夢オチはいいよ」ってどうしても脳が考えてしまう……がしかし、そう考えると、夢オチで読者を沸かせた許斐先生はホント格好いいなぁ。つーか、あの夢オチは普通の人間には作れないもんなぁ。でも、許斐剛と、それ以外の具体的な違いはいったいどこに求められるのだろう。
 乾・海堂が負けたという事実に変更がなかったから?仁王の顔の下から赤也が出てくるというなんだかんだ言っても絶対に有り得ない現象を間に挟んだから?乾先輩の包帯巻き巻きが爆笑モノだったから?うーん、やっぱ構成の妙ってやつなのかな。「乾死亡→絶望感を煽って引き→メテオドライブ→仁王の詐欺師っぽい言動→仁王の下からデビルアカヤ降臨→夢オチ」この過程の間に、僕らが動揺している間に、海堂・乾VS柳・赤也から不二VS仁王への移行がスムーズに行われていたという事実。夢オチを間に挟むことでむしろ作品のテンポが上がり、話を作る上でも意義があったという事実。*1やっぱこの辺かなぁ。ちょっとはっきりしないんだけど……ああ、そうだ。夢オチの結果、予定調和に落ち込まなかったってのがあるな。
 「吹雪さんが藤原相手に引き分けるという予定調和打破展開が夢オチだった」「準主人公格(美形キャラ)の(車輪)眼が抉り取られたという予定調和打破展開が夢オチだった」的な、弱腰が許斐剛にはない。乾のボロ負けが完膚なきまでに確定、デビルは放置、不二に関しても翌週「VS手塚」というメテオドライブ以上の難関が用意される、といった斬新過ぎて頭が痛くなる展開。もっといえばあの夢オチの内容自体が強気過ぎる。あの一連の展開を軽く予定調和だと言える人間はそうそういない筈だ。やっぱこの辺なのかなぁ?
 一般に夢オチが嫌われやすいのは、夢オチの結果、作劇が予定調和―要はド退屈な展開―の枠に収められる、その為の手法として夢オチが使われやすいからであり、逆にいえば予定調和打破のために夢オチが使われるならば、それはそれで1つのテクニックとして有用……なのか?うーん……。

追記:ここでいう予定調和は僕が今年受講した哲学(2)とかに出てくるライプニッツ発案のアレじゃなくて、もっと世俗的なアレな。他にいい表現思いつかなかったんだぜ。

*1:みんな夢落ちでページ使いすぎとか言ってたけど、実は夢オチを間に挟んだことで試合開始前の無駄な儀式やラリーを省けていたという側面を見逃してはならない