週刊少年ジャンプ48号?

 御免、何時ぞや「復活したハンターハンターについては最早軍儀にしか興味がない」とか言ったような覚えがあるが、アレ普通に大嘘だった。今週、軍儀でてこないにも関らず続きが気になったのがその証拠。アレだな。僕の小学生レーダーが、強く反応した。

 今週のネウロは勿体無いなぁ、と。折角の巻頭カラーなのに凡庸な話を書いてるよ、と脊髄反射。等々力さんのエピソードが終始「よくある話」で終わりそうなのもそうなんだけど、例のハジケ部分についても、どうもなんか大衆迎合的なハジケって感じがしてノリきれなかったなぁ。何時はもっと独立独歩的なハジケを見せてくれるからそれが結構好きだったんけど*1、今回は総じて微妙。そういえば、アニメのネウロはハジケ切れず既存の枠に収まりっぱなしとかそういう話を聞いたが、あっちだと一事が万事こういう具合なのかな。奇才・松井先生とて徹頭徹尾ハジケきれなかった場合は、遡って粗が見えてくる、と考えればアニメ化には無謀な香りが匂ってくるが、まぁ、僕の知ったこっちゃないな。アニメ版のネウロに関しては、桂木弥子が無個性な美少女になったのだ、と、「アニ基地」の記事から読み取れた瞬間、100%興味が消えました。

 アイシールド21。1〜2巻ぐらいまでは何気に好きで、西部戦で甲斐谷陸やバッファロー牛島が出た辺りからは「クソ漫画?」とか思ってて、神龍寺戦のコント、王城戦の気持ち悪さには反吐が出て、餓王登場時には理屈抜きでジャンプを放り投げたくらい、この漫画には虫唾が走っていた筈なんですが、不思議なものですな。各地でクソ化したクソ化したと一週遅れで聞くにつれ、感性が一巡してしまったようです。なんか、最近では、毎週毎週、「まぁ、これぐらいなら十分アリだよな。うん、騙される騙される」とか言っている自分に気がつく。これを自己一巡現象と名付けたい。ほんと、なんだなんだろうなコレ。

 更木剣八が出てきた時思った。「遅いよ」と。戦闘狂の剣八なら命令無視ってでも闘いに出るのは明白すぎるわけで、そう考えると滅法遅い。とっくの昔にだれましたって話だよ。ただ、ここでちょっと思う。「小学生的にはこのタイミングでもOKなのかな?」と。かっての聖闘士聖矢にもポセイドン編という哀しいぐらい記憶に残らない、ジェミニのカノンについて以外誰も語らない話があったような気がする。或いは、リンかけにも、阿修羅編という詰まらなさ以前に最早何がしたかったのかすら見当もつかないお話がある。この辺、世の小学生達に「剣八来る前に飽きた?」とか聞いてみたい気がしないでもない。

 どうでもいいが、聖闘士聖矢のハーデス十二宮編はすげぇ面白いと思う。無論、アレを詰まらないという人間の言うことは正しい。それは極めて正常な感覚だろう。だが、俺は面白いと思うんだ。この辺、理屈では説明しづらく、そもそも、机上の理屈で車田漫画を読めのるかって気もするのが正直なところ。ただ、少なくともコレだけはいえる。長い長い間、正直みんな心の底からどうでもいいと思っている主人公のことなどアウトオブ眼中のまま、一騎当千黄金聖闘士同士が骨肉の争いを繰り広げているだけでテンションが上がるんだよマジで。まぁ、少年漫画なんて、読者のテンション上げちまえばそれで作者の勝ちなんだな、と思わされる瞬間。例えば、皆大好き「少年誌最高峰のミステリー(笑)」デスノートだってさ、一番輝いていたのは、「ライトの自信の根拠はなんだ?」→「お帰り父さん」→「意味もなく1ページぶち抜き」のような、「お前それ親の七光りじゃねーかよ」とツッコムを入れることすら忘却の彼方に追いやってしまう、あの意味のない迫力をかもし出していた頃だと思うんだ。「ライトVSL!世界最強の大量殺害兵器デスノートを使った超接近戦!」とか、そういう如何にも少年誌的なノリに、君等はそれと気がつかないままものの見事に釣りあげられた訳だ。「テーマ性」とか「キラの是非」とか、実は表面にぺりっと張りつけられたに過ぎないものについてまで、長々と昼夜を賭して語りついだわけだ。いやいや、馬鹿にしてるわけじゃない。1〜2巻の手塚ゾーンっぷりには誰も彼もが引き付けられるってもんさ。そのぐらいの迫力が「お帰り。父さん」にはあった。さて、長いんで話を戻すが、まぁ、アレだ。車田正美はその一点において人並み優れた才を持ち、かつ、時代からも愛されていたんだろうなぁ(過去形)

*1:ディビットライスや親の七光りよりも、DCSや家具の人の方が好き。