ハジケリスト

推理物の皮を被った単純娯楽漫画


 この言葉がなんか世界で1人歩きしているように見えるのは僕の気のせいか。*1「当然根拠のない憶測だが」と強く断った上での発言だが、作者である松井優征がこの言葉を発した意図は、決して「単純娯楽漫画という枠に拘れ」という意味ではないと思うんだ。あの方はただ、やれ推理物だのやれギャグ漫画だの、一定の枠に嵌った創作の捉え方しか出来ない、凝り固まった思考回路を持つ人間達がお経のように発する、あの馬鹿馬鹿しい雑音が嫌だったからそう発言したに過ぎなかったのではないだろうか。僕には、あの発言が「既存の枠組みに囚われずどうぞ勝手に楽しんでください」くらいに見えた。別に作者がどうとかジャンルがどうとか深く考えず自分の判断で勝手に笑ったり泣いたりしてもらって構わないのだ、というハジケリスト*2の心意気みたいなものを僕はあの時感じ取ったのだが、アレは或いは錯覚だったのかもしれない。

 ファンが各地でネウロの説明を行う際、碌に思考を働かせず「推理物の皮を被った単純娯楽漫画」の一言で押し通そうとするのを見る度に、レッテル貼りという作業は度し難いものだと感じる。確かに、アレは阿呆に釘を刺す上で有効であり、仕方のないことだと思いつつ、一方で、何をどうやってでも可及的速やかに創作を既存の概念だけで括りたがる、あの姿勢がどうも苦手だ。少しは蒼天徐晃*3の謙虚さと大らかさを見習え。いや、見習いきったらそれはそれで微妙なのかもしれないが。*4

 創作の要諦とは詰まるところ現実を超えることだと考えている。*5そして、それは即ち、既存の枠組みを破壊する事でもあると僕は考えているのだが、やはり錯覚かもしれない。

 wikipediaに書かれた太字は何かを間違えていると思いつつ、今日は筆を置くとしよう。

*1:「気のせいか」などと言う時は大抵2つ。気のせいであって欲しい時とあって欲しくない時。今回はやや前者よりか。

*2:松井先生はボーボボの澤井先生の下で修行した真性のハジケリストである。

*3:理解しきらんもんは 語れませんわ!

*4:やべぇ。よくわかんなくなってきたな。誰か曹操様呼んで来い。

*5:田山花袋『蒲団』なんかを読むとそう思う。逆に。