本っっっ当にただのメモ
名もなき中世人の日常―娯楽と刑罰のはざまで (中世ヨーロッパ万華鏡)
- 作者: エルンストシューベルト,Ernst Schubert,藤代幸一
- 出版社/メーカー: 八坂書房
- 発売日: 2005/03/01
- メディア: 単行本
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- 中世の農民達は基本的にBauer(農民)とは呼ばれなかった。彼等は、同じ農民たちからは個々の役割に応じた呼ばれ方をされ、そして権力者にとっては…「名もなき人」であった。
- 中世の農民達は文字を文章レベルではほとんど扱えなかった。その為彼等が自らの権利保存を行うにあたっては、「Wunne und Weide*3」に代表される決まり文句の反復が行われた(反復性の原理による権利保存)。
- 中世ヨーロッパにおける農村では「遊び(踊り)」が共同体と隣人関係の証を立てる為に行われた。これもまた反復による確認行為である(e.g.謝肉祭の鶏)。
- 個々人が独自の慣習に従う地方に対し、普遍的な法に従う都市部においては、踊りよりも強力な演劇が共同体維持を目的とした「遊び」として行われた。そこには厳密な意味での「観客」は存在しなかった。
- 中世における遊び(シュピール)=Not気晴らしBut社会を一体化する為の手段
- 「楽しみは病の薬」という思想から、祝祭的な性格から切り離され、身分上の制約からも自由な日常の遊びが誕生する。
- 中世ヨーロッパにおける賭場の隆盛は「サイコロ作り職人」が職業として成立するほどだった。
- 中世ヨーロッパにおいては墓場で遊ぶ人間も結構いた。この点については当時、墓そのものは追憶の場ではなく、人々は教会のミサで死者を思い起こしていたという時代背景が影響している。
- 「暗黒の中世」という偏見。一面的な思考。
- 中世=性的な欲望に対してわりと開放的。禁欲が本格的に強制されたのは宗教改革以後。
- 娼婦への取り締まりは福祉への配慮或いは「単なるポーズ」という側面もあった?
- 「愛しの遊君」⇔「貶めようとする意思*4」。娼婦に対してはこれら二つの態度が並存していた。必要悪の思想?
- 罪に対し比較的大らかで人間的な中世ヨーロッパ(e.g.聖女マグダラへの寛容)
- 「君主」―「臣民」の縦軸は近代的?中世においては庶民達の風評が侮れない力を持っていた(e.g.デンマーク・ヴァルデマル五世*5)。
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一言:「中世ヨーロッパにおける農民達は文字言語をほとんど扱えなかった」ここら辺の前提に対する認識不足は根本的なレベルでの誤解・偏見をもたらしかねない為非常に危険。わかっていたことだが…結構見落としちゃうんだよなこれが。僕もまだまだ甘いなぁ。*6