禁圧とイメージ

 禁止されることでブルマは間違いなく禁止前よりエロい概念となった。つまり、ブルマは禁止によってより危険度を高めたと言える。有り/無しの一線を越えってしまって早数年、ブルマが、その付与されたエロイメージを失うような事態は最早起こりえないだろう。皮肉なことだが、禁止という事実によって男子はブルマという名のレアカードに対し今まで以上に発情し、より発情することによりブルマ禁止の妥当性は裏づけされていくのだ。或いは、簡潔にこう纏める事もできよう。禁止前と禁止後、最早同じ概念ではない、と。この点については、やはり注意が必要だろうと思う。もっとも、ここまでは、わりと皆に受け入れられそうな話だ。禁圧によって±の情が高まるということは歴史上ままある(無論、程度の差さや複合要因の問題、或いは当時の倫理観で禁止される程度には一応元からやばかった、といった諸要素も当然考慮すべきではあるが)。問題は、だ。差別用語をこのロジックで語っていいものかどうか。ブルマと差別用語を果たして同じ次元で語っていいものかどうか。これは問題だ。『公共性の高い場所からエロとして禁止された瞬間真にエロくなった衣服』のような論調で『公共性の高い場所から差別として禁止された瞬間真に差別用語となった単語』などと語ってしまっていいものか。はまりそうな気もするし、全く全然そうでもないような気もする。まぁ、なんにしてもイメージってもんは怖いってことで、ここは1つ適当なところで〆ておくか。うん。*1

*1:これ以上論旨が曖昧なまま喋ると、色んな所からパイを投げられそうな気がする。