ゼミ

 適度な意見の応酬の後、議論が煮詰まり、沈黙が続く。誰かが、誰かがこの状況を打開しなければ一歩も前に進まないこの状況。だが、この時、僕は気がつく。「【A】と言えばいけるじゃないか」と。わかってみれば単純なことだった。これで議論は動く。さぁ、発言……待てよ。単純なことなら、何故他の誰かが発言しないんだ?確かに、議論が抽象化し、なまじ思考の射程を広げすぎた為に、単純な事実に気がつかないということは有り得る(発言タイミングの錯誤)。或いは、沈黙が続いた為に、発言しづらい空気に呑まれてしまっているといった可能性もまた有り得る(発言タイミングの喪失)。だが、もしも【A】が強烈な思い違いだったなら?ここにいるゼミ生は同じ大学の同じ学部生。内部と外部の違いはあれど、頭脳の基本スペックにおいては大して差がない筈。だとすると……いや、ここで発言しなかったなら、それこそ発言タイミングを喪失することになる。失敗は怖い。だが、失敗の機会すら失うのはその100倍怖い。確かに、僕は発言が下手糞だ。5年間くらい半孤独状態の中に生きてきた。集団に向けて意見を発表するのは僕にとって最も経験に乏しいタイプのミッションだ。だが、だからこそやるべきじゃあないのか?大丈夫。今日の進行役はSだ。あいつは出来る。頭脳もなかなかだが、なにより、積極的に集団を切り盛りする統率力を持っている。奴なら、俺の意見に多少不備があっても拾いきれる筈。ん?じゃあなんで沈黙が続いてるんだ?いやいや、奴とて完璧ではない。詰まることはある。或いは、ゼミ全体の事を考えて自分以外の人間の活躍を期待しているのかもしれない。来るべきゼミ対抗討論大会『覇流魔外曇(ハルマゲドン)』に向けて猛者を集っているのかもしれない。いずれにしろ、俺は意を決して手を上げた(ここに至るまでの所要時間約30秒)。


 俺は自分の意見を発表した。今現在真に目をつけるべきは【A】ではないかと。Sはうんうん頷きながら聞いている。大丈夫だ。俺の声はちゃんと届いている。声の大きさも、論理展開も、僕の言わんとすることが伝わっているようだ。礼を失してもいない。ちゃんと説得の体勢を築けている。数秒後、俺は、自身の能力の及ぶ限りでの発言を終える。だが、この時恐怖の瞬間が訪れた。Sは流石に賢い。まず、俺の意見を斟酌し、どのような判断を下すべきか時間を取って考えている。その間、約数秒。無論、この行動自体には何の問題もない。だが、Sが沈思黙考するこの間、沈黙が恐るべきスピードで深化する。気まずい。これは気まずい。その間、不安のレベルが、メタルスライムを倒した時の転職後の賢者(Lv.1)のようになる。俺の意見は通ったのか?それとも失笑ものだったのか?ん?Sが資料を使って意見を拾ったぞ。よし。流石だ……って、決をとるのかよぉぉぉお!これで、誰も手を上げなかったらライへンバッハの滝に身を投げるしかないじゃないか。ああ、生まれてきて御免なさい。ん?何?手が挙がってる?80%以上じゃないか。当然だ。俺は神だ(発言後ここに至るまでの所要時間約3分

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 ゼミのいい所は、「形式的に問題を洗って適当に色々つまみ出せばそれでOK」ではないところ。土台、うちのゼミは判例(或いはケーススタディ)を叩き台にする事が多い。つまり天下の裁判所が一応の結論を出している。つまり、話の表面を見るだけならそれこそ誰でも出来るということ。だが、だからこそ要求される力もある。それは問題意識。つまりは「一通り学んだ。で、何が問題なん?ここからどうすんの?」。

 たまに「裸の王様」よろしく【A】と言えばわりとあっさり行けるんじゃないか、と自分の中で線が一本に繋がる事がある。だが、確証などどこにもない。土台、課題のレベルは大抵単一の学部生レベルを超えている以上*1、「じゃあ、何が問題なん?」についてすら自分の意見に確証などあるわけがない。筆記試験で間違えを恐れるのとは全く違う、独特の緊張がそこにはある。特に、発表後のあの沈黙はキツイ。頼むからお前らなんかリアクション取れよっていう気持ちになる。もっとも、だからと言って逃げるのはアホだ。確証がないからこそ、思い切って発言する価値がある。もし、そこに反省すべき部分が発言後発覚したならば、庭の隅っこ辺りで思いきり悔しがって次に生かせばいい。或いは、冷静に反省会を開く候。

 アレだ。所謂「失敗を恐れるな」とは「厚顔無恥になれ」ってことじゃないと思うんだ。「失敗を受け入れる覚悟を決めろ」ってことなんだと僕は考えている。実は先週、タイミングの錯誤によるミスを犯してスゲー悔しかった。だから、何がいけなかったのかを反省、次に生かせたわけだ。もっとも、まだまだ課題は多い。「現状、自分のやることにはおそらく不備があることだろう。じゃあ、その不備は何処だ」ぐらいの方が、むしろ気が楽だ。砂上の楼閣*2で守りに入り、心を狭めても仕方が無い。こんな感じで、自分に言い聞かせてはいるんだが……まぁ、色々。

*1:注:1人であっさりできるならゼミを開いても直ぐ終わるって話。

*2:学生レベル=砂上の楼閣