ま、あくまで他人事だから言えるんだけどさ、こんなことは。

あの二枚は、一応公式使用可です。信じたくないけど、というかその存在自体を信じたくないけど、あの二枚を試合中に提示されたら、相手が毒手だろうが花山薫だろうが握手しなければなりません。多分。

だそうだ。遊戯王wikiの記述があまりにあっさりしていた為『禁止が既に暗黙の了解となっているので一々書いていない』のかと一瞬『理論的に有り得ない可能性』を危惧したが、普通に使えるらしい。ならばよし。


このようなカードがリアルに使える。そして皆がその事態をわりと適当に受け止めている*1。『白』『黒』『青』『赤』『緑』という相対主義に基づいたMTGでは決して有り得ない発想だな。『アングルード』はあくまでジョーク。そこには理性的な線引きが行われている。例え“妙な”カードが出てきても『それは混沌の赤だから』という具合に逐一説明が効く。(各環境の成否はともかくとして)MTGは常に美しい思想に基づいて作られているわけだ。*2そしてそれは遊戯王wikiとMTGwikiを見比べてみれば一目瞭然である。

だが優れた知性による徹底した相対主義はその一方で硬直した絶対主義に陥るというジレンマを抱えている。何故なら一口に『相対』といってもそこには人間による分類・評価作業が常に行われており、完璧にあらゆる要素をリスペクトできているわけではない。そしてその不完全な相対主義を無理に推し進める事は絶対主義に繋がる…わかりやすく言うとMTGに『どどめ色』は存在しないし、作られる事もない。相対主義の観点から『白』『黒』『青』『赤』『緑』を同列に置く努力は成されても、『どどめ色』に対する配慮はなされていない。これはカード効果についても同様で、『白』『黒』『青』『赤』『緑』と枠が予め規定された中で可能性が割り振られている。これは美しい一方で、硬直からの腐敗を招く―ダイナミズムを失う―危険性を備えている。

もっとも長年『それ』に付き合ってきたウィザーズ社はその事実を何処の誰よりも理解している為、たまに『次元の混乱』*3のようなカオスを意図的に生み出す努力をしている…のだが、どこぞの遊戯王OCGはほっといてもカオスだったりする。本来的な『遊び人』という人種が『予定調和』を何よりも嫌うという事実を考慮に入れるならば…優れてるっちゃ優れてるな。何故なら遊具の本領はその『ビックリ箱』感にある。そして遊戯王OCGはナチュラルティストにカオスなのだ。あらゆる『理』がごちゃ混ぜにされた天然混沌遊具。ある意味遊戯『王』。*4

美しいゲームはその美しさ故に腐敗する可能性を内包している。汚いゲームは魅力的な一方自滅の危険性を内包している。嗚呼…人の世の無常也。

*1:無論実用性の問題が大きく絡んでいるとは思うが。

*2:もっとも、『最初期』については流石に除かねばならないが。

*3:或いは『アングルード』のような冗談もそれに含まれるか。

*4:言うまでもないが問題はある。数多ある。そりゃもうGoogle様でひとっ走りすれば本当にたくさん出てくる。アレとかアレとかアレとか。