WEB拍手

7:42 遊戯王飽きたのでかんなり久しぶりに来てみれば
7:45 小説(俺の生きる糧)が更新してんでやんの
7:45 頑張って下さい。

 「こんな僕なんかにどうも」と前置きした上で。好意的な拍手 BUT 本人への期待はあっても内容への反応は一切ない、という辺りに僕の現状というか実力の無さが端的に現れている気がしますが、現実から適度に目を逸らし、視点を変えて考えてみると、これは拍手者にとっても非ィ生産的な行為だと思います。文面から見て僕に頑張らせたいのは明白ですが、だったら頑張ってくださいなんて逆効果ですよ。一言でも内容に触れるとか、面白かったとおだてる(猿もおだてりゃ木にのぼる)とかやった方が他人の執筆継続を望む上では遥かに効果的でしょう。土台、趣味としての執筆の動機とは「俺が書きたいから俺が書く」に四千年前から相場が決まっていますが、それならば、執筆結果の掲載の目的とはつまるところ「俺が書いたものを読ませたい」と「俺が書いたものでリアクションさせたい」の複合物なわけで、その目標が達成されるからこそ継続意欲がわくわけですな。そう考えるとnot反応but激励は非ィ生産的でしょう。激励って掲載された物自体にはなんら関係ないですからね。パスを褒めてもらえることはおろかパスを受け取ってもらったことすら曖昧なままパスを期待され続けるのは僕らパサーのガッツを減らすばかりですよ。タイガーパス撃てないですよ。むしろさっさとシュート打ちやがれ、俺は傍から見てるから、という。自分でこんなこと言うのは非っっっ常に格好悪くて躊躇われたのですが、どうも「無駄」を感じる。敵ならともかく味方っぽい人から善意で毒を盛られるのは非ィ生産的な気がしてならない。どうせならお互いの利害を最適化するにこしたことはない、と、最近の傾向を鑑みちょっと思ったことを書いてみました。僕自身、最近の傾向により初めてくっきりと自覚した事なんですけどね。長いので一端切ります。