放っておこうかとも思ったが一応。

オリカ(新カード)の法則

書き方が甘かったのか*1、はたまた違う場所(多分コレだ。極端な例証。)で僕が変な書き方をした所為か、なんにせよ誤って伝わっている節があるので再解説。そもそも決闘創作では「圧勝」が少ない。相手が格下でもそこそこ競ることが多いのが決闘創作である。無論ライバル対決ならギリギリの攻防になるのが理の当然。だが、そんな時一方が「神のカード」クラスのカードを持っていたらどうだろう。勝負は互角…しかし向こうは神のカードを使っている…とかそんな感じの解釈なんだろうが、実はこれだと大雑把過ぎる。或いは表層にとらわれてしまうかもしれない*2。だが、この奥にはもっとわかりやすい理論がある。「マリク」の「神」*3を例に解説しようか。

結論から言おう。マリクは毎回の様に神のカードの強さをアピールしつつ(話を盛り上げる為)無駄に苦戦するという二律背反行為をやっていたため弱く見えたのだ。つまり「苦戦」→「神の強さアピール」を繰り返していた為に「神なかったら弱いんじゃねーの」的に見えたのだ。終了。いや終了だよ。別に強いカードを使ってはいけないとかそういう話ではない。そんなこと言ったらネクロフィア使った時点でバクラは失格だ。そういうことじゃないんだ。要はカードに「使われてる」状態が弱く見えるって話なんだ。バクラはその点余計なことをせず*4一部の『必殺カード』を使い切ったから強く見えたのだ。そういう意味では海馬社長の「神を生贄に捧げる」は◎だった。要は「依存」しているかどうかなんだ。

*1:「何が」「強過ぎる」について書くべきだったと思う。或いは「相対性」について書くべきだった。

*2:そういう意味では僕が下手糞だった。

*3:ドローサポートでもいいが、神の方がよりラディカルだ。

*4:弱いカードを多数揃える事は、戦術に思い切りの良さを付加したともいえる。